現代よりも命を狙われる事が多かった時代、歴史上の偉人たちの中には非業の死を遂げた人物もいる。
遺体が見つからなかったにも関わらず、死亡したとされることもあり「実際のところ数えきれない程の偉人たちが生きのびていたのではないか?」という噂まで存在するのだ。
今回はそんな「真田幸村生存説」についてご紹介しようと思う。
真田幸村とは
安土桃山時代から戦国時代にかけて活躍した、有名な戦国武将真田幸村。
みなさんも1度は名前を聞いたことがあるのではないだろうか?
現代では、戦国武将が現代風のイケメンキャラとなって、恋愛ゲームに登場したりと、歴史に詳しくない人でも幸村の名前を聞く機会が多い。
まずは真田幸村について知るために、彼の生涯を年表形式でおさらいしていこう。
【1567年(または1570年)】 | 真田幸村がこの世に生を受ける。 父は真田晶幸、母は山手殿、兄は信幸。 |
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【1575年】 | 幸村9歳の時、父の晶幸が真田家の当主となる。 |
【1582年】 | 幸村16歳の時、真田家が織田家に仕え始める。 しかし、明智光秀の陰謀により織田信長が本能寺の変で死亡してしまい、真田家は路頭に迷って仕える先を転々とする。 |
【1585年】 | 幸村19歳の時、真田家が上杉家に仕え始める。 幸村は人質になる為、越後国(現在の北陸道)へと向かう。 |
【1587年】 | 幸村21歳の時、真田家が豊臣家に仕え始める。 幸村は人質になる為、大阪城にいる秀吉の元へ向かう。 |
【1594年】 | 幸村28歳の時、「左衛門佐」の官職に就く。 |
【1598年】 | 幸村32歳の時、秀吉が死亡する。 |
【1600年】 | 幸村34歳の時、関ヶ原の戦いで敗戦し、父の晶幸と共に高野山へ流罪(罪人を辺境の地ヘ追放する刑)となる。 その後、九度山で蟄居生活(部屋に閉じこもり謹慎生活)を送る。 |
【1611年】 | 幸村45歳の時、父の晶幸が病死する。 |
【1614年】 | 幸村48歳の時、大坂冬の陣に参戦する。 |
【1615年】 | 幸村49歳の時、大坂夏の陣で戦死する。 |
父、晶幸の考えで若い頃は人質として主君の元へ転々とする生活を送っていた幸村。
豊臣家に仕えてから、彼の人生はガラリと変わり戦に参戦し、敗戦。
追放された先では父と一緒に争いごとのないゆっくりした時間の中で、楽しい時を過ごしていたようだ。
そして大坂冬の陣が始まると、いてもたってもいられないと息子の大助を連れて大阪城に向かい、その場は上手く収まったものの、大坂夏の陣で遂に戦死してしまう。
天下を取っていた徳川家康を追い詰めた真田幸村は「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と呼ばれるようになった。
真田幸村は大坂夏の陣で戦死せずに生き延びていた?

大坂夏の陣の際、家康の元には「真田幸村の首」だと思われるものがいくつも運ばれきたといい、そのどれもが幸村の首ではなく、全くの別人のものだったという。
もちろん人違いで首を獲ったのではなく、切られた首の人物たちはみな「我は真田幸村である。」と名乗ったのだ。
戦場には何人もの幸村の影武者がいたと言い、家康側も幸村を討とうと奮闘し、幸村の名を名乗る者の首を手当り次第取り、家康の元へ運んでいたようだ。
このことから考えると「幸村が大坂夏の陣で討たれて死亡した」と言い切るには、いささか無理がある。
史実では「安居神社の境内の松の木の影で休憩をしていた所を、敵に見つかってしまい討ち取られた」となっているが、家康の元へ討ち取った首が献上されていないのは不自然である。
このことから「真田幸村生存説」が生まれてのだ。
説によると「大坂夏の陣の際、太助と豊臣秀頼(秀吉の三男)と共に参戦していた幸村だったが、3人で鹿児島に逃亡した」のだという。
鹿児島には豊臣秀頼の家があり、そこへ身を寄せたのではないかと言われている。
京都に伝わるわらべ歌では「花のようなる秀頼様を鬼のようなる真田が連れて退きも退いたり鹿児島へ」と歌われている。
鹿児島へ逃亡してからは太助共に商いをして余生を過ごしたという。
実際に大館市には幸村と太助、2人の墓が建てられている。
これは余談だが、実は「真田幸村」という名前、幸村本人は1度も名乗ったことが無いそう。
幸村の本名は「真田信繁」であり、「幸村」という名前がみられるようになったのは、彼氏の死後60年が経過した頃だという。
現代では「幸村」という名前が定着しており、「信繁」の名で呼ばれることはほとんど無い。
まとめ
いかがだっただろうか?
若い頃は人質として過ごし、戦争では敗戦して流罪となって、主君のために参戦した戦で討ち取られ、あまり幸せな人生を過したとは言えない幸村。
もし本当に鹿児島へ息子と共に逃亡して、商いをしながら余生を過ごしていたのだとしたら、彼の波乱万丈な人生も少しは報われるのではないだろうか。
400年もの時を経て、最強の戦国武将として人気を博している真田幸村。
彼の生涯について暴かれる日は来るのだろうか。