上杉謙信とは、戦国時代に活躍した人物で、その強さから「越後の龍」と呼ばれていた大名である。
1968年、小説家の八切止夫が「上杉謙信は女性」だという説を唱えた。
今回はこの都市伝説について紹介しようと思う。
上杉謙信とは

長尾為景家の四男として生まれ、長尾景虎と名付けられた。
景虎が31歳の時、上杉憲政の養子となり上杉政虎と改名する。
何度か改名し、最終的には「上杉謙信」と名乗るようになった。
内乱が多発していた越後国を統一して、政治や戦だけでなく、産業も発達させて国を繁栄させるなど、多彩な才能を発揮した。
1577年12月18日。
春日城の厠(トイレ)で突然倒れ、そのまま生涯を終える。
上杉謙信が女性だと言われる理由

上杉謙信が女性だという都市伝説が生まれた理由は、以下の通りである。
ゴンザレスの報告書
スペイン人のゴンザレスという人物が、日本の調査報告書を国王に送った。
今でもその報告書はトレドの僧院に残っており、報告書の「黄金情報」という項目に「会津の上杉はその叔母が佐渡を開発して黄金を沢山得ている。」と記されている。
この「上杉」は謙信のことではなく、上杉景勝の事を指し、叔母と言うのは上杉謙信を指しているというのだ。
景勝は謙信の姉の子供で、謙信にこの姉以外に姉妹はおらず「叔母」は謙信の事を指していると言われている。
確かに男性に対して叔母という言葉を使うのはおかしな話である。
婦人病
謙信は「大虫」が原因で死亡したと言われている。
大虫は赤味噌という意味も持ち、この赤味噌の隠語が月経だった事から、月経や婦人病が関係して命を落とした可能性があるのだ。
「更年期障害が悪化して死亡した。」なんていう説もあるくらいである。
また、どんなに大切な合戦の途中でも、月に一度くらいのペースで腹痛を訴えて自室に籠る癖があったようで、これは“謙信が実は女性で月経があった為ではないか”と言われている。
北条軍との戦の前に腹痛を訴えて、戦を見合わせることもあったそうだ。
独身を貫いた
「生涯不犯」という「結婚しない」誓いを自身に立てていた謙信は、側近も取らず、養子を迎え入れている。
女性である事を隠していた為、子孫を残せず、養子を迎え入れたと考えられる。
当時は医療も発達しておらず、無事に子供が産まれても成人するまでに命を落とす事が多く「産めや、増やせや」が当たり前だった時代。
自身の血筋を途絶えさせないように、跡継ぎを産ませるのに必死だった。
時代劇なんかでは、殿様が「男か!?女か!?」と産婆さんに問いかけているシーンが思い浮かぶ方も多いと思うが、とにかく男が生まれるまで何人も子供を作って産ませていたのだ。
そんな時代に、上杉謙信の血筋を何故残さなかったのだろうか。
養子を迎えても、自分の子ではないので血の繋がりが無いのである。
また、その一方で若い男性が好きだったという説もあり、同性愛者だったという説もあるのだ。
恋愛小説を好んで読んでいた
「伊勢物語」「源氏物語」は、今でいうところの恋愛小説で、謙信が好んで読んでいたという。
交友関係があった織田信長には、お気に入りの一冊である「源氏物語」をプレゼントしていたそうで、今で言えば“男性が少女漫画を男友達にプレゼントする”くらいに違和感たっぷりな行動である。
これがもし、謙信が女性であると知った上で受け取っていたのだとしたらロマンティックな贈り物とも言える。
歌会でも恋する気持ちを題材にして歌を詠んだりしたそうで、なんと筆跡も女性のようなものだったらしい。
流行の歌の歌詞
当時民衆の間で流行していた歌には、謙信が女性である事を指しているような歌詞があるそうだ。
肖像画
上杉謙信の肖像画で一番有名な画像を見てみると、口元にボサボサに伸びたヒゲが描かれている。
普通に見れば「ヒゲの手入れを怠っているただのオッサン」なのだが、実はこの頃に描かれている他の武将の肖像画では、みんなヒゲをきちんと手入れした状態で描かれているのだ。
ヒゲが生えている事を強調しているようにも捉える事ができるので、ヒゲが生えなかった謙信のイメージを男らしい状態で後世に残したいと思って描いた肖像画なのかもしれない。
ファッションセンス
大名や武将は「男らしく!強く!」というイメージだが、謙信の着ていた服は赤色が多く、ド派手なものが多かった。
上杉神社には「紅地雪持柳繍襟辻ヶ花染胴服」という名前の衣装が奉納されており、真っ赤な色が印象的で、女性が着るような華やかなものである。
酒好き
大きな杯(10×6cm以上)を愛用していた謙信は、肖像画で自身の代わりにこの大杯を描かせている。
とっくりは男性、杯が女性の隠語(男性器と女性器)である為、大杯だけを肖像画として描かせ「自分は女性である。」という事をアピールしていたのかもしれない。
若いイケメンが好き
何人かの養子を迎え入れた謙信だが、みな美男子だったという。
同性愛者だった謙信が、好みの美男子を自分の近くに置きたかった可能性もあるが、自分が女性であることを隠しながら、女性として若くて綺麗な男性に心惹かれ、養子として迎え入れていた可能性もあるのだ。
まとめ
いかがだっただろうか?
調べてみると出るわ、出るわ「上杉謙信は女だった。」これはかなり信ぴょう性の高い都市伝説だと思う。
強くて男らしい上杉謙信のイメージを覆すほどの、女性と思わせるような数々の証拠。
もし本当に彼が女性である事を隠しながら、強く生きていたのだとしたら、めちゃくちゃロマンのある話である。