都市伝説【日本の歴史】

【都市伝説】源義経はチンギスハンだった!?同一人物とされる12の理由!




平安時代の末期の武将であり「~♪京の五条の橋の上♪大の男の弁慶は♪長い薙刀振り上げて♪牛若目がけて斬りかかる♪~」の歌で御馴染の源義経と、部族を統一して世界最大のモンゴル帝国を築き上げたチンギス=ハン。

モンゴルと日本という別の国に生きた二人が、実は同一人物だったという都市伝説があるのをご存知だろうか?

今回は「源義経=チンギスハン説」について紹介していこうと思う。

 

源義経とは

現在の京都府出身で、戦術の天才と称された源義経。

まずは義経の人生について簡単に説明していこう。

1歳 現在の京都府に生まれ、「牛若丸」と名付けられた。
7~11歳 僧侶として生きる為に鞍馬寺に入る。遮那王(しゃなおう)に改名する。
16歳 僧侶になるのを拒否。放浪の旅に出て奥州を目指す。
17歳 元服(成人すること。当時は12~17歳頃に成人していた。)し、源九朗義経に改名、その後、源義経と名乗る。
22歳 黄瀬川の陣で兄である頼朝と再開を果たし、兄と共に平家を滅ぼす事を誓う。
26歳 宇治川の戦い勝利。その後、一ノ谷の戦いで平家に勝利。
27歳 屋島の戦いで平家を滅亡させる。
29歳 勝手な行動が目立つようになり、頼朝の逆鱗に触れ追放されて奥州平泉に下る。
31歳 追手から逃げきれずに追いつめられ、衣川舘で妻と子供と共に自害し、生涯を終える。

幼い頃から辛い経験をしてきた義経だが、涙の再開を果たし、兄として慕っていた頼朝は義経の事を弟としてではなく“家来”として扱っていた。

調子に乗った行動で頼朝の逆鱗に触れ、最終的に実の兄に追いつめられて自ら命を絶ってしまう悲劇のヒーローなのである。

 

チンギス=ハンとは

義経は年表形式に紹介したが、チンギスハンの幼少期の情報は不明な点が多いので、少し簡単に紹介したいと思う。

1162年、チンギスハンはモンゴルの有名な部族長イェスゲイの元に生まれる。

チンギスハンが9歳の時、父が急死。

部族長がいなくなった事で好き放題する者が現れ、抗争などに巻き込まれるが、成長し力を蓄えたチンギスハンは父と同じように部族長となる。

その後、次々部族を倒していき、モンゴルを統一してモンゴル帝国を築いた。

地球が誕生し現在に至るまでの長い歴史の中で、チンギスハンが築いたモンゴル帝国の巨大さは、史上最大を誇っている。

 

源義経がチンギス=ハンとなった!?

先ほど紹介した義経の生涯では、衣川舘で自害したことになっているが、実は生き延びて北上し、モンゴル帝国を築き上げたという都市伝説がある。

この都市伝説が生まれたのには、ドイツ人学者のシーボルトが関係している。

シーボルトの著書「日本」の中で、義経が自害せずに生き延びて蝦夷(現在の東北・北海道地方)に北上したという伝説が残っている事と、チンギス=ハンの半生がほぼ不明である事からこの二人が同一人物であるという説を唱え始めたのだ。



二人が同一人物だと考えられる理由

違う国で違う人生を歩んでいた二人が、同一人物だとされる理由には以下のようなものがある。

①チンギスハンの幼少時代の情報があやふやである。

②義経が北上したという記録がある古文書が残っている。

③清の第6第皇帝が自らを「義経の子孫だ。」と発言した記録が残っている。

④中国の古書に義経の子供が金(国の名前)の将軍になったと記されている。

⑤モンゴルの軍旗には義経の家紋とよく似た模様が描かれている。

⑥義経もチンギスハンも奇襲攻撃を得意としていた。

⑦チンギスハンはモンゴルでは主流でない、日本独特の長弓を得意とした。

⑧チンギスハンはニロン族出身であったが「ニロン」と「日本」の響きが似ている。

⑨チンギスハンは「クロ―」とも呼ばれており、これが源九朗義経の「九朗」を指している。

⑩元(国の名前)は「源」から取られて名付けられた。

⑪チンギスハンの即位式の際、白旗が9旗掲げられた。白旗は義経の源氏の旗でもあり、9本という数は「九朗」に関係している。

⑫二人とも酒に弱い。

 

実際の所、この都市伝説に信憑性はあるのか

数々の共通点(少しこじつけのような箇所もあるが)が多い二人。

一昔前まではチンギスハンと義経が同一人物であるという説は、数多くの学者の間で唱えられてきた。

チンギスハンも義経も現在に伝わっている伝説などは口伝などが多く、記録として残されているものは少ない。

冒頭で紹介した「牛若丸」の童謡は義経と弁慶の対峙を元に作詞・作曲されたものだが、実はこの二人の出会いすらも、現在ではフィクションだと考えられている。

22歳で兄の頼朝と再開し、二人で平家を滅ぼす事を誓ったが、実際は22歳以前にどこで何をしていたのか不明なのである。

一方、チンギスハンについても同じことが言える。

モンゴル民族はこの時代に文字を書く文化が無かった為、チンギスハンに関する文献が残っていないのである。

世界規模の帝国を築き上げた英雄だが、文献が無くその半生がほぼ不明とは、なんとも可哀想な人物である。

現在では「源義経とチンギス=ハンは同一人物ではない」「トンデモ都市伝説」だ。

なんて言われているこの説だが、二人についてわからない事が多い以上、絶対に違うとは言い切れないのではないだろうか。

悲劇のヒーローとして語られる事の多い源義経が、自決をしたと見せかけてモンゴルへと渡り、そこでモンゴル帝国を築き上げていたとしたら、彼の人生は素晴らしいものだったと言えるだろう。