タイタニック号とは、20世紀の初めに造られた豪華客船である。
「絶対に沈まない客船」と呼ばれていたタイタニック号は、1912年4月14日の航海中、氷山に接触し沈没してしまう。
この大規模な事故による犠牲者は1500名にものぼった。
歴史に残る出来事であり、20世紀最大の水難事故となった。その後、何度か映画化もされている。
今回はそんなタイタニック号の沈没が、事故ではなく「ミイラの呪い」だったという都市伝説について紹介しよう。
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ミイラの呪いで海に沈んだタイタニック号
その都市伝説というのが“イギリス博物館からニューヨークのメトロポリタン美術館に航送する予定だったミイラの呪いでタイタニック号が氷山に衝突し沈没した”というもの。
ミイラはエジプトのルクソールという都市で、イギリスのとある探検家が購入したもので、生前はアメン・ラ―神(エジプトの神々の主)に仕える巫女だったという。
この巫女のミイラを購入した後、探検家の身に様々な災難が降りかかり、最終的に不慮の死を遂げてしまう。
探検家が手放した後も、次に買い取った人物が交通事故を起こし、ミイラを撮影したカメラマンまでもが交通事故に遭い、その後イギリス博物館に収められた。
それでも博物館の警備員が突然死するなどの“不可解な出来事”が立て続けに起きた為、今度はニューヨークのメトロポリタン美術館に収められる事になったそうだ。
タイタニック号に呪いのミイラは乗せられていたのか?
タイタニックに積まれていた荷物の記録が残っており、それによるとミイラが積まれていたという事実は無い。
しかし、ミイラを公にして航送できなかったので、船に積まれた自動車のトランクに乗せていたという噂も存在する。
こうなると、映画タイタニックのワンシーンで、主人公のディカプリオとヒロインが愛を確かめ合っていた自動車のトランクに、呪いのミイラが乗せられていたのではないか、というあらぬ妄想をしてしまいそうである・・・。
もし本当に車に隠していたならば、今頃呪いのミイラは海の藻屑と化している訳だが、実は現在もとある博物館で展示されているのだという。
呪いのミイラの正体とは?
イギリスのとある探検家が購入した呪いのミイラは、通称「不幸のミイラ」と呼ばれ、現在もイギリス博物館で展示されている。
「不幸のミイラ」と呼ばれているが、実際はミイラボードと呼ばれる木製の蓋で、ミイラの上に置かれるものである。
探検家や博物館の警備員に降りかかった不幸が本当だったのかは不明だが、ニューヨークのメトロポリタン美術館に送られたという記録は残っていない。
では、なぜこの呪いのミイラ改め、不幸のミイラがメトロポリタン美術館に送られたという都市伝説が生まれたのだろうか。
ミイラとタイタニック号の話は実は別物だった!?
この都市伝説が生まれたのには、タイタニック号の乗客だったウィリアム・トーマス・スティードという人物が関係している。
ウィリアムはジャーナリストとして活躍しており、オカルトチックな話が大好きな人物だった。
そんな彼は、自分の乗っている船が沈没するという事は夢にも思わず、「不幸のミイラ」の話をタイタニックに乗り合わせた乗客に話していた。
そして話をもっと面白くさせる為に「実はこのタイタニック号には、その呪いのミイラが乗せられているんだ・・・。」と乗客達に嘘を吹き込んだのだ。
長旅で暇を持て余している乗客を楽しませようと話したこの作り話が、のちに「タイタニック号が沈没したのはミイラの呪い」という都市伝説を誕生させる事になったという訳だ。
ウィリアムが生存していたかどうかは不明だが、タイタニック号の沈没から救助された人々が後になってこの作り話を広め、いつしか世界に知れ渡った。
タイタニック号沈没にまつわる不可解な謎
呪いのミイラの線は無いとしても、タイタニック号が沈没するにあたり、不可解な点がある。
ベテラン操縦士である船長のスミスが、普段では絶対に有り得ない動きでタイタニック号を操縦し、氷山に衝突する直前も急にスピードを上げたり、下げたり、進路を変更したりと無茶苦茶な操縦をしていたのだという。
また、タイタニック号に万が一の事があった場合にSOS信号が発信できる機器の受信拒否をしており、救助要請をしたのは沈没寸前の時だった。
無茶な操縦をせず、救助の連絡も速やかに行っていれば多くの犠牲者を出さずに済んだかもしれない。
しかし、“何故か”船長はそうしなかったのである。彼の身に一体何が起こっていたのだろうか。
ベテラン操縦士だったスミス船長の不可解な行動も、ミイラの呪いの都市伝説が生まれた要因の一つであると言えるだろう。
そしてもう一つ。
ウィリアムが生み出した都市伝説に登場する呪いのミイラには「汝が眠りに落ちし時、虚脱から目覚めるのだ。さすれば、汝の目のひと睨みが汝に抗う者、全てに勝利するであろう。」と書かれた張り紙のようなものが張られていたという。
「イギリス博物館からメトロポリタン博物館に送られた」「タイタニック号が沈没した後、無傷の状態でミイラを回収した」という事実があり、それを何らかの理由で公表していないとすれば・・・。
この先も、このミイラの周りで不可解な出来事が立て続けに起こるかもしれない。