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【都市伝説】伏見稲荷大社にまつわる都市伝説!8つの場所を解明する!?



みなさんは伏見稲荷大社をご存知だろうか。

京都府京都市にある神社で、全国に点在する稲荷神社の総本社である。

朱色に包まれた本殿や千本鳥居など、訪れた者を異世界へいざなってくれるような不思議な雰囲気が評判を呼び、インスタ映えを狙った人々や、外国人が訪れる観光スポットとしても人気が高い。

今回はそんな伏見稲荷大社に伝わる都市伝説について紹介していこうと思う。

 

お山の土

「お山」とは、伏見稲荷大社の本堂の裏側にある稲荷山のことを指す。

稲荷山は稲荷大神が降り立った神奈備山だとも言われている霊山である。

伏見稲荷大社に祀られている神様が、五穀豊穣(ごこくほうじょう・農作物が豊作になること)を司る神であることから、聖地である「お山」の土を田畑に撒くと、そのご利益で農作物が豊作になると言われている。

この言い伝えが生まれる前までは、「お山」の土を米粒程の大きさに丸め、銀色に塗ったものを「粒粒(つぼつぼ)」と呼び、田畑に撒くと良いとされていた。

のちにこの粒粒は、伏見人形(土人形)へと変化していったのだという。

現在でも、土人形が壊れると持ち主の田畑に埋めると良いことが起こると言われているが、これも五穀豊穣を信仰していた名残だと思われる。

 

験の杉(しるしのすぎ)

伏見稲荷大社では、毎年2月の初午になると「初午大祭」が行われる。

この日は稲荷大神がこの地に降り立った日であるとされ、「初午大祭」は、平安時代から続いている。

この祭りの日だけ特別に参拝者に授与されるのが「験の杉」であり、家内安全・商売繁盛の護符として親しまれている。

杉の木はお稲荷さんのご神木とされており、昔は参拝者が初午の日に参拝した後、杉の枝を折って持ち返っていた。

折った杉の枝は植木鉢か庭に植え、根が付いたら「吉」根が付かなかったら「凶」の運勢となると言われていたそうだ。

 

千本鳥居

本殿から稲荷山に登る際に通るのが、この千本鳥居である。

朱色の鳥居が立ち並ぶ神秘的な光景が人気を呼び、観光客に人気のスポットとなっている。

千本鳥居を通る際、願い事をしながら通ると願いが叶うと言われている。

千本鳥居と呼ばれているが、実際の鳥居の数は一万本以上あり、朱色のトンネルは4kmほど続いている。

立ち並ぶ鳥居は、願い事が叶ったお礼として参拝者から奉納されたものであり、現在では新たに鳥居を立てるスペースが無い為、古い鳥居の奉納者が権利を放棄するのを順番待ちするしかないのだという。

 

おもかる石

千本鳥居を抜けた先に、二つの石灯籠があり、その二つの石灯籠の先端部分に乗っているのが「おもかる石」である。

右と左、どちらかの灯篭の前で願い事をし、おもかる石を持ち上げた際、自分が予想していたよりも石が軽ければ願いが叶い、重ければ叶わないと言われている。

コロンとした見た目で、そこまで大きくないのでどうしても「そこまで重くなさそう」と思ってしまいがちだが、願いを叶えたいのであれば「この石は重たい」と思っておくのが良いかもしれない。

ちなみに欲が深い人間には持ち上げることすらできないという。



新池

参道には「新池」と呼ばれる池があり、行方知れずの人間を探している者がこの池に向かって手を叩いて鳴らすと、こだまが返って来た方向に行方を追う手掛かりがあるという。

新池の近くにある熊鷹社で願い事をした後、池に向かって手を二回拍手して鳴らすと、こだまが返ってくるのだが、そのこだまが予想よりも早くに返ってくれば願い事は成就し、遅ければ願い事が成就するのも遅いと言われている。

「新池」という名前の池だが、この言い伝えもあってか「こだま池」と呼ばれることもあるようだ。

 

劔石(つるぎいし)と焼刃の水

稲荷山に「御劔社」という祠がある。

御劔社のご神体として、祠の裏側にある巨石「劔石」が祀られている。

この劔石には雷神が封じられているという言い伝えがあり、別名「雷石」とも呼ばれているそうだ。

また、左手には井戸があり「焼刃の水」と呼ばれている。

平安時代に活躍した鍛冶屋の三丈小鍛冶宗近という人物がこの井戸水を使い、名刀「子狐丸」を生み出したという言い伝えがある。

子狐丸にはその名の通り、伏見稲荷大社の遣いである狐の力が宿っているのだという。

そのような言い伝えが残る井戸水なので、身体を清めると不思議な事が起こるとも言われているようだ。

 

無数の塚

稲荷山には摂末社があり、その周りを取り囲むようにして無数の小さな鳥居が点在している。

この小さな鳥居は「お塚」と呼ばれ、お稲荷さんを信仰する人々が鳥居を守護神として奉納したのが始まりだと言われている。

鳥居の大きさや祀り方は人それぞれであり、小さな鳥居を奉納し始めたのは明治時代中期から、現在の様に鳥居が大量に祀られるようになったのは明治時代末期だそうだ。

増え続けるお塚の数は一万を超え、場所を特定するのが難しくなってきたことから、お塚の場所をデータ化し、休憩所で場所を検索できるようになったのだという。

 

奴禰(ぬね)鳥居

稲荷山にある荷田社と呼ばれる社があり、そこに「奴禰鳥居」と呼ばれる額柱がお互いを支え合うような、合掌しているような形をしている鳥居がある。

この形の鳥居は大変珍しく、伏見稲荷大社の奴禰鳥居以外に日出稲荷でしか見ることができないのだそうだ。

どのようにしてこのような形の鳥居になったのか、詳細は不明であり、「奴禰鳥居」という変わった名前の由来も不明である。

謎に包まれた鳥居が意味するものとは一体なんなのであろうか。