色々な話に出てくる「幽霊船」
実際に存在しているということをご存知だろうか?
今回はKaz II(カズ2号)という船を紹介していこうと思う。
この船にはどんな謎が隠されているのだろうか。
Kaz IIとは
Kaz IIは全長12メートル(40フィート)のカタマランヨットで、2007年4月14日の日曜にクイーンズランド州からオーストラリア西部へ向けて出港した。
乗船していたのはそれぞれ船長のデレク・バッテン(56歳)、ペーター・タンスティード(69歳)、ペーターの弟であるジェームス・タンスティード(63歳)、の3名の男性だった。
発見までの様子
警察本部長のロイ・ウォールは月曜日(2007年4月15日)から火曜日(2007年4月16日)にかけての海はかなり荒く、風があったと証言している。
スキッパー船「ジリアン」の船長、ギャヴィン・ホーランドが2007年4月16日、ボーエン沖のサンゴ礁で釣りをしていた際、乗組員不在のまま漂流中のKaz IIを発見、通報した。
発見時には既に乗組員は見当たらず、また片方の帆がずたずたに切り裂かれていた状態だった。
またセイルに多少の損傷があったが、大きな事故にあったような形跡はなかった(セイルは漂流中に破損することもある)と伝えられている。
奇妙な点
特に奇妙だったのは、まるで船員がこれから食事を始めようとしているかのように、テーブルに食事が用意されていたことだった。
エンジンはまだ動いており、ノートパソコンの電源も入りっぱなし、GPSも作動中だったのです。船員の私物も残っており、ライフジャケットも小型ボートも船に残されていた。
「乗組員が不在であることを除けばほとんど全てが正常な状態であり、乗組員が居ない理由の兆候は見つからなかった」のだ。
捜索の様子
すぐに12機の航空機に依る空および海からの両方で行方不明の乗組員たちの捜索が開始されました。犯罪科学捜査の専門家による検証と、GPSのナビゲーションに残っている情報の分析も行なわれた。
GPSの分析結果では「KAZⅡ」は4月15日まで予定通りに進んでいたが、15日にスコールの影響で海が荒れていた海域に入っていたとのこと。
そして、15日以降は潮や風に流されて進んでいたと考え、15日に3人はヨットの上からいなくなったと考えた。
警察は「犯罪に巻き込まれた可能性は薄い」とし、「機械の不良により、外で修理作業をしようとした3人が誤って海に転落した」と考え、15日にヨットが航行していた海域に範囲を絞って捜索活動が行われた。
しかし乗組員は発見されぬまま、2007年5月4日に捜索は断念された。シドニー・モーニング・ヘラルドは乗組員捜索断念を伝える紙面の中で「最後の無線交信は4月中旬の日曜日(2007年4月15日)の夜に、ジョージ・ポイント付近の砂州に船が座礁したと連絡があった。
船長デレク・バッテンとペーターおよびジムの兄弟は、座礁した船を動かそうとして暖かいサンゴ礁の海に飛び込んだ。
一陣の風が吹き、Kaz IIは乗組員たちが船に戻る前にその場を離れた」という仮説を掲載している。
船内が綺麗に整頓されているにも関わらず乗組員たちだけが居ない状況を説明した。しかし同時に、「この仮説を実証するに足る証拠は揃っていない」とも述べている。
捜索のその後
GPSの航海記録を元にクイーンズランド州タウンズビルの連邦検視事務所で調査が行われ、1年半後の2008年8月8日に公式検視報告書が提出された。
その中でマイケル・バーンズ連邦検視官は「(乗組員たちが)確実に死亡しているとは断定出来ない」としている。
行方不明になった3人の家族は、15日にスコールがあったのであれば救命胴衣が船に残っていることが不自然だと考え、誘拐された可能性を主張していた。
しかし現在でも3人の乗員は行方不明のまま、失踪した原因もわからない。
当時のオーストラリアのメディアでは、この事故を1872年に大西洋で発見され、乗組員10名が忽然と姿を消した航海史上最大の謎「マリー・セレスト号」のようだと報じた。
まとめ
いかがだったでしょうか?
様々な方法での調査を行っても幽霊船の正体はいまだにわからないままである。
同じような事件も起こっているが、この謎に対する答えが出る日は来るのだろうか。