未解決事件

【未解決事件】村ごと消えたロアノーク植民地!集団失踪事件の謎!



大勢の人が消えてしまうという現象が世界ではたくさん起きている。

その中でも有名なのが「ロノアーク植民地」である。

アメリカで起きた集団失踪事件は一体どのように発生したのだろうか?

今回は「ロノアーク植民地」の謎について紹介していこうと思う。

ロアノーク植民地とは

 

16世紀末、イングランドから北アメリカ大陸への植民がまだ始まったばかりの頃のことである。

当時の英女王エリザベス1世の寵臣ウォルター・ローリーによる遠征隊の一団が、現在のノースカロライナ州にあるロアノーク島にイングランド最初の植民地を作った。

ロアノーク植民地はウォルター・ローリーにより出資、組織化された殖民事業である。

バージニア植民地内に恒久的開拓地を設立するために、16世紀後半に、ラルフ・レーンとリチャード・グレンビル(ローリーの従兄弟)によって実行された。

1585年から1587年にかけて数度の植民地建設が試みられましたが、どれも放棄されるか開拓者が死亡するかし、開拓は難航した。

 

島の人々の失踪

 

植民地の統治者はジョン・ホワイトという男だった。

開拓が難航したこともあって、ホワイトは母国に援助を求めた。

娘夫婦と孫を含む80人の男性、17人の女性、11人の子供を置いて、本国へと戻ることとなったホワイトは何とかイングランドに帰国することができたが、間の悪いことにスペインとの戦争が勃発、アメリカに戻るための船がなくなってしまったのである。

3年後の1590年8月18日、折しも孫娘の誕生日に、ホワイトは知人の船に頼んでようやくロアノーク島に戻ることができた。

しかし、島に残してきた人々は姿は消えてしまっていたのである。

 

失踪後の島の様子

 

村は荒廃しきっていて、建物は解体され、生活の跡形もまるで残っていなかったとそうだ。

無人の集落には、十字など災難を意味するものはなかったのだが、「CROATOAN」と刻まれた柱が見つかった。

それは事前に決めていた暗号で、島を去るときには行き先を木か柱に刻んでいく、さらに緊急事態の場合には十字も彫っていくというものだった。

戦闘があったような痕跡もなかったものの柱は防御柵の一部で入植者たちが敵の襲来に備えていたことは明らかだった。

CROATOANを調べていくとある先住民に辿り着いた。

クロアトアンはロアノーク島の南にある細長い島と、そこに住む先住民の両方を指す言葉なのだ。

クロアトアン族はカロライナ・アルゴンキン語を話し、過去には英国からの入植者と良好な関係を築いていた。

ホワイトは80キロしか離れていないクロアトアン島を捜索した。しかし島には十分な物資もなく、ほかにも難題を抱えていたため、それ以上の捜索はしなかったのである。



謎についての考察

 

多くの仮説では、入植者は植民地の南にいたクロアトアン族の犠牲になったと推測されている。

慌ただしくそこを立ち去ることになった住民が犯人を知らせるメッセージとして「CROATOAN」残したのかもしれないと考えられている。

また別の仮説では、ホワイトの帰還が戦争のために3年もかかったことから、入植者は捨てられたのだと勘違いしてヨーロッパに帰還したと説明されている。

この説によれば、彼らは大西洋の冷たい海で遭難し死んでしまったというのだ。

また、ホワイトが描いた地図の復刻版から砦を意味する星形が1カ所の紙片の下から浮かび上がってきたということもあった。

その場所は入植地であるロアノーク島ではなく、80キロほど離れたアルベマール湾の西端に面する陸地である。

紙片は何らかの誤りを修正するというより、知られてはいけないことを隠す意図で貼られた可能性があることからその陸地が失踪と関係しているという説も浮上している。

他にもジェームズタウンで1609年頃の飢饉の際、食人が行われていた形跡も発見されていたことから追い込まれたロアノークの人々も似たような状況で食人を行ったが、最後には全滅したのではないかという説もある。

 

学術的な調査

 

1998年、東カロライナ大学はロアノーク事件を考古学的に調査する「クロアトアン・プロジェクト」では、彼らは、昔のロアノーク植民地から50マイル (80 km) にある古代クロアトアン族首都があった地点で発見された指輪を調査した。

この指輪は1585年から1586年にロアノーク島にあったラルフ・レーンの植民地に住んだという記録があるマスター・ケンドールの所有物だったが可能性が強いと結論づけた。

これが事実であれば、この指輪はロアノーク植民者とハッテラス島のインディアンの間の関係を結びつける初の物的証拠となる。

また、テキサス州ヒューストンのファミリーツリーDNA社の「ロアノークの失われた植民地DNAプロジェクト」では、失われた植民地の生存者が養子縁組あるいは奴隷化によって地元のインディアン部族に同化したかどうかをDNA型鑑定を使って実証することを目指している。

これら種族の間にはかなりの比率で植民者の姓が存在しているとされ、さらにこの理論を裏付ける事実が発見されてきたと言われている。

 

まとめ

 

いかがだっただろうか?

上記のように様々な考察や調査が行われてはいるもののロノアーク植民地の謎は今だに解明されていない。

ロアノークは「失われた植民地」と呼ばれ語り継がれていて多くの研究者の関心事になっている。

これからの調査の発展にも注目していこうと思う。